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情報の真偽は自己責任☆
2005年10月14日 (金)
○魂歩 ~Soul walker~                by ・w・



●No.00 序章【Body&Soul】



ある時、仕事のついで立ち寄った古い本屋で"本"を読んだ。
年季を感じる色褪せた表紙の字は虫食いだけでタイトルはわからない。
その"本"にはこう書かれていた。



【人が人たる由縁は肉体の器に霊体を宿すことにあり、
人が作る環境、人間(じんかん)で人間(にんげん)へと修飾される】



高校の倫理で習う思想に『我思うゆえに我あり』という言葉があったが霊体、
つまり、意思がそこにあれば主体となる対象はそこにあることができるということだ。自分が何であるか、本当にそこにいるか考えられるということは自分がそこにいなければ考えることができないという逆説により成り立つ。



しかし、ふと、こんなことを考えたことはないだろうか?



【自分が自分でない】



いつもの自分がいつもと違う別の一面を見せることが無いだろうか?

日頃は、別に気にならない友達の言動がやけに腹が立ちキレる。
得意だったことはずのことが何故かできなくなる、スランプ。
好きだった相手に対する想いがふと消えてどうでもなる瞬間。
決して手放したくない大切なものや夢が何の変哲も無い路傍の石に見えてしまうこと……etc。


勿論、自分が思い悩むから自分はそこにいるはずだ。



【考える対象がそこにいるからこそ考えることができる】



これは疑いようがないことだ。



だが、もしも……




――その考えている自分が既に自分でないとしたら……


自分だと思っている存在が実は違うものだったらどうする?



見た目はたしかに自分そのものかもしれない。
肌のつや、髪の色、癖や声、趣味嗜好、考え方に至るまで全て一緒かもしれない。
今日までそこで生きてきた過去の記憶がある、自分が属する集団での人間関係を
持つ立場がある。


普通はこれらがあれば自分は自分だと納得できる。

納得できて当然だ。疑いようが無い。周囲がそうであると言い、自分の記憶がそれを裏付ければそれが真実だ。
自分という存在はそこにしかいないし、他の誰でもない。唯一無二の存在。




――そう思っていた。

しかし、この"本"を読んでいるうちに突如、書かれていることの真意を理解した。



【人が人たる由縁は肉体の器に霊体を宿すことにあり、
人が作る環境、人間(じんかん)で人間(にんげん)へと修飾される】



この意味は、肉体と霊体(意思)の相互関係により人が形成され、環境が人間へと変えることにあるが、
これはこうも言えるのではないだろうか?



【霊体(意思)は肉体の情報と環境により自己を自己と認識する】



自分を取り巻く周囲の外部情報と自分が過去としての記憶で持つ内部情報。
この二つの情報が自分が自分であると決めているのではないだろうか?
あたかも意思に元々そうであったかのように思わせることで。



もし、そうなら【精神分裂症(多重人格)】の話も変わってくる。


多重人格とは、一つの肉体に複数のキャラクター(性格)を持つということだ。
普段は優しい人のはずだが、夜になると殺人鬼へと豹変する。


昔、あった小説の『ジキルとハイド』や『反転』という設定で有名になった某シナリオでも見られる、ごくありふれたベタなネタが【多重人格】だ。

【多重人格】となる原因は一般的には幼少期に受けた虐待やいじめによるストレスが及ぼす精神状態の不安定に対し、人の防御機構として、ストレスから身を守るためのスケープゴート(身代わり)としてキャラを作り出すことにある。

普段は優しい人でも、ストレスの原因となる事象が発生するときそのスケープゴート用のキャラが本体と成り代わる。

これにより心身に及ぼす苦痛を減らすというのが元来の考え方だ。



だが、先ほど挙げた説、



【霊体(意思)は肉体の情報と環境により自己を自己と認識する】



これに照らし合わせた場合、普段、自分が【山田太郎】であると周囲から言われる。
自信の記憶で確認してそうであると納得する。

しかし、この内部と外部の二つの情報経路が狂った場合、自分を自分と認識できない。

そこで【第二の山田太郎】がそこに生まれてしまう。
周囲から見れば、【山田太郎】に変わりないがその中身は【第二の山田太郎】である。

この新しく生まれた人格が本体と入れ替わる"成り代わり"により、世間では頻繁にこう言われる。



【あの人はこんなことする人じゃなかった】


よくニュースやワイドショーで耳にするセリフ。普段、温厚で真面目だった人が残忍な犯罪を犯してしまった時に必ずといっていいほど目に付く。


【人は思うほど相手のことを気にしない生き物である】というように普段自分が思っていることは相手には伝わっていない。

自分はどうしようもない悪であっても外ではいい顔をしていれば分からない。
人に言えない趣味を持っていても明るみにでなければ他人は気にしない。
顔のできものや体型のことで悩んでいても他人はそんなことお構いなし。悩むことが馬鹿らしいとさえ思うこともある。

しかし、全ての犯罪でその傍からは見えなかった性格が成した業なのであろうか?
その一部は別のキャラ(人格)による"成り代わり"のせいではないのだろうか?

普段の【山田太郎】に何らかの原因で別のキャラ(人格)が入り込み、【第二の山田太郎】となる。

この【第二の山田太郎】が本体とは違う趣味趣向と破壊的欲望で犯罪を犯したのではないか。

歴史上、日を境に弱気だった政治家がカリスマを帯び独裁国家へと変えていったことも、流行に乗っているブレイク中のアーティストや作家が自殺してしまうのは、
全てとも言わないにしろ少なからずは"成り代わり"のせいでは……



今、この場で"本"を読み理解した記憶をおぼろげながら掘り起こし、パソコンへと打ち込んでいる自分は別の誰かなのかもしれない。


肉体が持つ過去を自分の記憶と思い、周囲の人間がこの肉体を見て、自分であると言うことで自分が自分であると思っているだけなのでは……

一瞬という短い時間の間に生まれる新たなキャラが肉体と周囲の情報を元に自己で在らしめる。


今、ここにいる自分は本当に自分自身なのだろうか? 


既に別のキャラが成り代わっているのではないのだろうか?



――もし、そうなら本当の自分は今何処にいて、何をやっているのだろう……

                                 



                          To be continued……
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