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情報の真偽は自己責任☆
2008年02月17日 (日)
ってどんな関係にあるのだろう?






【作ったもの】は、創作者で能動者。
【作られたもの】は、従属物で受動物。

この関係は、切ってもきれないぐらいに明白で。
当たり前のように当然の事実。

【作ったもの】は、作者であって、彼の人の思いの通りに【作られたもの】を築く。

【作られたもの】は、【作ったもの】の想いの通り、思惑通りに動くもの。
プログラムされたものは、プログラム通りに動くもの。

それが当たり前で、それが普通で、そうであるのが当然至極。

だけども、本当にそうなのか?
作った意図通りに作品には現れるのか?

描きたいように、書きたいように、願いのように作っても。
本当に作りたかったものが出来るとは限らない。

才能であり、技術であり、時間であり、経験であり、素材であって。
本当にやりたかったものが、そこにできるとは限らない。

無機物でできたプログラムめいたデータの存在でも。
有機物でできた生物めいた分子の存在でも。

【作ったもの】の意図通りに、そこに【作られたもの】があることなどあるのだろうか。
作者の予想外の想定外の、良い意味でも悪い意味でも、バグが起こらないものか。

もちろん、そのようなことは稀にあるかもしれない。
そうあるように作品をコントロールするから、職人であって、国の宝なのかもしれない。
本当の至高の技術っていうのは、そういうものかもしれない。

【作ったもの】と、【作られたもの】の関係は変わらない。
彼ら職人と呼ばれるものたちの間では、【作ったもの】>【作られたもの】関係は変わらない。

しかし、職人じゃないとどうなる?
ただのぼんくらだとどうなる?

ものづくりを夢見てるだけの存在で、技術も経験も白昼夢と区別がつかない作家もどきならどうなる?

【作ったもの】>【作られたもの】の関係であり続けることができるのか。
そう思ってるだけじゃないのか。

本当は、【作ったもの】が、作った気になってるだけで、【作られたもの】に感化されて塗り替えられてるんじゃないのか?


作者がある意図を持って作った作品は、創作・制作・構築・完成の過程で作者を変化させているんじゃないのか?

本気でもの作るとするならば、そこに気持ちが込められるはず。
【作ったもの】と【作られたもの】は、制作の過程でリンクする。

心と心がリンクすれば、【作ったもの】>【作られたもの】の一方通行で終わるのだろうか。

【作ったもの】<【作られたもの】への逆流が起こってもおかしくないじゃないのか?

綺麗なものを汚いものを楽しいものを怖いものを悲しいものを嬉しいものが、【作ったもの】と【作られたもの】を行き来し、【作ったもの】の心を塗り替える。

作品を作ってるつもりで、【作られたもの】に作られている【作ったもの】。


「どっちが本当の意味で、ものを作っているんだろう」






そんなことを珍しくマジメに、ぼやいてみる猫耳白衣。



「まぁ、楽しければいいんじゃない?
 難しいことわかんないけど、世の中、楽しんだもん勝ちじゃない」


そう、お気楽に答えるショートヘア。

「【作ったもの】も【作られたもの】も、どっちがどっちかなんてわかんないけどさ。
 両方がお互いを作って、楽しんでたら、万事解決モーマンタイじゃないのかな」

ドリンクバーを、かき混ぜながらに、彼女は続ける。


「まぁ、シリ/めつだけどね」




こんな具合に、都市伝説ネタは、日々増えていく。
どこかで、作品に作り変えられた作家がいるかもしれない。

そんな噂話。






【作ったもの】と【作られたもの】(了)






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