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2006年01月27日 (金)
 今日は学校で雑務でした。

昨日友人の話を聞いて、今日あって話しました。

まぁ、相手も思うところがあって決めたようですし応援することにします。

なんだかんだで最終的には放任主義者のようです、私。

 さてさて、今日はレポート提出日ってことでレポートの内容をアップしときます。

【テーマ「生命とは何か?」起承転結でA4 二枚でまとめよ】

テーマが決められてすぐに浮かんだ内容について、自転車の登下校の暇な時間に煮詰めてみました。

ではどうぞ。

 生命とは『欲望』の一語に尽きる。今回のテーマが与えられたとき最初に浮かんだ言葉であり深く考えた結果行き着いた結論がそれである。生物は欲望に支配される。腹が空けば獲物を探し補食し、疲れれば寝て休み、子孫を残したければ発情し子を作る。これら三つは一般に生物の三大欲求と呼ばれ、全てが生存に必須である。生物は生命を維持するために環境に適応し、他者を圧倒する。キリンなら首を長くし高い青葉をはむ。チーターは俊足。ハイエナはチームプレイ。タンポポは綿毛。昆虫は擬態する。鯨のように陸を見限り海に戻ったものもいる。適者生存の語の通り彼らは繁栄した。その最たる結果が我々人類だ。二足歩行を可能とする骨盤が両手を自由にし道具を使う。それが脳を活性化し言葉を話す。狩猟生活から安定した農耕生活へ。労力を減らすために鈍器から鉄器へ。知識を残したければ字を作り紙に記す。遠くへ行きたければ馬を飼い車を作る。海に出たければ船を。空を飛びたければ飛行機を。生活の安定はさらなる欲求を生み長寿を欲す。病気や人体を解明し薬を作り手術法を編み出した。そして、生命を形作る根源、『遺伝子』を見つけた。
 遺伝子を組み替えることで理論上何でも可能である。今は机上の空論だが生物学を含め物理学、化学、工学、全てを煮詰めていけば必ず実現される。人の欲望とはそれほど強いものだ。人間や動物などの少なからず思考する生物ならば生命=欲望という定義に当てはまる。だが、思考しているとは到底思えない微生物の場合はどうだ。特にウイルスやファージは顕著である。三大欲求やその他の渇望する姿が見えない。あるのは生体を形作る化学物質と酵素反応による物理現象だけだ。遺伝子の設計図通りに全てが機能する。遺伝子を複製し、細胞を作る。酵素が代謝を助け生命活動を作る。生命活動の結果生まれるのが欲望だ。生体を維持し命を長らえる糧となる。 つまり、生命とは欲望ではなく遺伝子と言えるのではないか。生物が生きるために欲っする全ての現象は遺伝子が自身のコピーを作りこの世に蔓延るためでしかない。生命は遺伝子のロボットであり遺伝子を増やすために生きているのだ。遺伝子を無事に増やす温床として天敵から守り、必要な養分を摂取する。そのための進化であり本能である。勿論、生態ピラミッドの頂点たる我々人間からすればこの考えは馬鹿馬鹿しいだろう。たしかに遺伝子は塩基配列から生命を形作る。だが、それが全ての構成要素ではない。例えば環境要因がある。同じ遺伝子を持つ一卵性双生児ですら食事、教育、環境で体型も考え方も向き不向きに差異が生まれる。遺伝子に全てが支配されるわけではない。むしろ、我々は生命の神秘を解き明かし利用し遺伝病も臓器製造問題も解決する立場にいる。我々が遺伝子を支配しているのだと主張する者もいるだろう。実際そう思うものが大半で普遍の真理である。しかし、本当は遺伝子に使われているのだ。遺伝子を利用してるつもりが実は遺伝子に使われていると言うことに気づいていない。
 『遺伝子は学習する』
環境要因こそその好例だ。生物は一般に自分と共通のものに心を許す。例外に近親憎悪というものがあるが、大抵は同じ趣味嗜好考え方に安堵する。食べ物、風習、話、趣味が似ていると共通の話題を持つし、親の顔と同じなら自分の子供だという認識が強く愛着や仲間意識が湧く。集団に属している時も理念が共通なら争いも起きはしない。ロボットである生命体が危険にさらされないということは遺伝子の複製を安全に続けられるということにそのまま繋がる。その最たる例がやはり我々人間だ。くどい様だが人間は万物の長と言っても過言ではない。全ての生物の生殺与奪の力を持つ。地球そのものを破壊することも出来るほどだ。遺伝子にとっては最高のロボットではないか。人間には外敵は人間しかいない。人間同士の殺し合いを防げば遺伝子の安全は保障されたも同然だ。そのため道徳や法律を作り同士打ちを避けさせる。また我々がバイオテクノロジーを発達させることで遺伝子が分子構造上持つ欠陥も補われた。塩基配列の構造変化がもたらす自然突然変異による致命的遺伝子疾患を治すことが可能だ。さらに他種同士の高性能な遺伝子を切り貼りし、より高性能な遺伝子を作ることもできる。まさに遺伝子の思う壺だ。このように人間こそ遺伝子の手の上で踊らされているロボットなのだ。それでも違うと言い張る人もいるだろう。例えば、「遺伝子は何故、煙草や酒、薬物乱用などの寿命を縮める行為を許すのか。これは人間の欲望による快楽を求める行為ではないのか。遺伝子が変異を及ぼす要因を黙って見過ごすわけはない」と。確かにそういわれると考えてしまいそうだがそれも違う。遺伝子の目的は複製を作ることだ。変異があろうと仕方がない。ストレスに負けてロボットである人間に死なれるより多少塩基配列が狂い、ロボットの寿命が減ってでも子を作れる年齢まで生き子孫や複製を作りさえすれば良いのだ。逆に、遺伝子の首を絞めるような状況を少しでも見せておけば人間が操られているとは思わないとさえ考えている。人間が自身のために欲望しそれを叶えているように見せかけるのが遺伝子の気の遠くなるぐらい長い時間が生んだ学習の集大成だ。
このようにして『生命=遺伝子』の図が出来上がっていく。
 しかし、本当にそうなのだろうかと私は考えた。遺伝子が生命を操るというのはかの昔に有名になった【パラサイト・イブ】という映画にも出てきた内容だ。私は人と同じ考えでまとまるのが好きでない。むしろ、天邪鬼に相手の意見を崩したいとさえ思う。そして、あることに気づいた。遺伝子が最も望まないこと。それは生命体の自殺である。遺伝子は転写複製分裂で増殖し、子供を作り生命体を増やしていく。そんな彼らが一番望まないことは子を作らないうちに個体が死んでしまうことだ。一つの個体でいくら増殖しても限界がある。子孫を残さなければ意味がない。そのための薬であり、煙草、etcである。夢という希望を持たせ生きていることの素晴らしさを植えつけようと遺伝子は努力する。倫理や地獄を作り、死への恐怖すら教育する。だが、人間も動物も自殺するのだ。自殺と言うと聞こえが悪い。この世の全てに見切りをつけ自身の平穏を得る行為。現実逃避の究極形である。未来や過去の煩わしいこと一切を忘れ思考を停止する。生きている苦痛より無思考による安らぎを得る行為はまさに欲望だ。遺伝子の複製への悠久に渡る執念すら及ばないとてつもない欲望である。また自殺には一般的に現実逃避に見られる方法以外にも誇らしいシチュエーションがある。それは愛するもののために死ぬことだ。例えば、トラックに轢かれそうな恋人を助けるシーンなんかがそうだ。全く自身の遺伝子とは似ても似つかない他人。相手が助かったからといって自分が持っている遺伝子がこの世に蔓延るというわけでもない。それなのに自己を満足させるために様々な想いから助ける。愛する人を死なせたくない。愛する人のいない世界なんてありえない。愛する人が死ぬくらいなら自分が死んだほうがマシだ。ありがとうとさえいってくれなくてもいい。愛する人が生きてさえいればそれだけでいい。そんなことを胸に抱いて自身の生命にピリオドを打つ。動物が飼い主を守る。親が子供を守る。朋友が友情で。部下が忠義で。国民が愛国心で。信者が神のために。
何かを守りたい=何かをしたい≒欲望だ。親や兄弟が血縁を守るのは自身に似た遺伝子を残すための策略としても、このような自殺は遺伝子にとって不本意極まりない。生命が遺伝子の束縛を打ち破り自由になった瞬間こそ自殺という自己犠牲であり欲望の極みなのだ。
 今まで生命とは欲望か、はたまた遺伝子かについて述べてきた。経緯を見れば判ると思うが『生命とは=欲望』の一語である。結局、遺伝子の目的である複製すらも欲望なのだ。遺伝子を擬人化し生命を操る首謀者として論じてきた。遺伝子が思考し、自身の複製という目的を持つとしたなら生命の自殺による自己犠牲で生まれる自己満足という欲望の前に敗れる。もし、負けなかったとしても遺伝子の目的=欲望である。何かをしたいという想いは欲望に他ならない。そもそも遺伝子は物質であるから思考しない。思考しなければ欲望は生まれない。そうなると序盤に論じた欲望による生物進化で決着がついてしまう。生命は生きている限り何かしらの行動を起こす。行動には目的が伴う。目的のない行動なんてこの世にない。意味のないものなどありはしない。別の視点から見ればどんな取るに足らないことでも必ず何かの意味があり、因果がある。目的とは何かしたいということだ。何かをしたい、つまり『WANT』。意志の『WILL』ではない。もっと純粋に命あるものとして生を望み欲する。死体は物質でしかない。生命は生きている限り欲望がつきまとうのだ。

 そう、生命とは『欲望』という一語に尽きる。

では、こんなところで。

p.s みなさんも生命って何か考えてみては?
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